高校受験の結果について
前回からの続きです。
中学2年生からになります。2017年4月頃~2018年3月頃までの話です。
その前に。
まず、この春(2019年2月)に息子が受験した高校の結果について先にお知らせしておきます。
慶應義塾高校 合格
早稲田大学高等学院高校 合格
立教新座高校 合格
桐光学園高校 合格
横浜サイエンスフロンティア高校(YSF) 辞退
自慢ではないけど自分の息子ながらすごいな。
いや、自慢か。
親なんてそんなもんです。
自分のことより子供のことのほうがよっぽど嬉しいんです。
こんなときぐらいは自慢したっていいですよね。
結果として辞退した公立のYSF以外は受けたところは全勝することが出来ました。YSFは受験日初日が慶應2次試験の合格発表日と重なってましたので、慶應が合格した時点でその後の特色と面接は辞退しました。
親から見ても予想を超えた結果にとにかく驚きが大きかったのですが、嬉しいという感情よりも本当に驚き、そして安心したというのが実感でした。
嬉しさは後からジワジワと湧いてくるのでした。そしてその嬉しさはかれこれ半年経った今でもまだ継続してます。
今は既に合格した立場から過去を振り返りながら良かった点悪かった点なども含め記録しておきたいと思い書いてます。
悪かった点、たくさんあります。
お兄ちゃんのときはこういうところがうまくいかなかったから、弟のときはこうしてみよう、みたいな。
前の経験を生かしてうまく導いていく。って戦法はとれないですね。
一人っ子の長男ですから。
全ての経験が最初で最後。
息子は中学の途中の段階ではとても早慶など狙える状況ではありませんでした。
中学2年から中学3年の後半のほうまでなかなかの暗黒時代に突入しており、模試の結果も振るわず再考圏を連発してました。
この辺りにも間違いなく親の責任も含まれてます。
受験は、受験をする本人はもちろんですが家族にとっても一大事です。子供にとって親の影響力は大きいですから、そういうときの親の考え方や子供との関わり方次第で大袈裟に言えば子供の人生の歩むコースが変わってしまうこともあると思います。
私が一番思ったこと。
言うは易く行うは難し!
これに尽きるかな。
そんなに言うならやってみろ、と。
言うほど簡単じゃねーぞ、と。
子供たちはそう思ってるわけです。
親は親で頑張ってるんだけど、そんなの子供には伝わらない。
頑張る種類も違うし。
子供に対しては、こうなってほしいって願望が全面に出ちゃうから。
でも言うのは簡単だけど、やるほうは本当に大変。
だからって何も言わないのはそれはそれで無責任。
逆に親の責任放棄になっちゃう。
親は親で結構難しい。
振り返ってみると私個人的には反省することのほうが遥かに多かったです。
そのようなことも書いていきます。
これから受験に臨まれるご家庭にとって少しでもご参考になれば嬉しい限りです。
受験を翌年に控えた前年の秋ごろまでかなりの低空飛行を続けた息子。
直前期のあたりで成績が上向き、これなら早慶も何とかギリギリで狙えるのでは?というところまできて最終的には上記の通り全勝となったわけです。
途中の段階では模試などで思うような成績が出ていなくても、まだ成績が安定してないうちは本番直前ギリギリまで伸びる可能性があります。
決して途中の段階ではあまり悲観せず、目標を下げたりせず、最後まで粘って、最後まで諦めないで欲しいと思います。
偉そうに言ってしまってすみません。
全て後になってから分かることです。
実際のその渦中にいるときは闇の中を進んでいるようなものでした。
中学2年の頃
さて、中2の頃です。
中2の頃には湘ゼミアルファに通い始めてましたが、それまで通っていた総合クラス(公立向け)と違い、授業の進むスピードが早いのと宿題が多いのとでついていくのが大変だったようです。
息子の場合は第一志望はあくまで公立高校でしたので理社もあったわけです。
そして公立を志望しているので学校の成績にも気を配る必要もありました。その為、中学校の内申対策、公立受験用の5科と特色対策、国私立用の3科と5科の対策、などなど、あれもこれもと対応しなければならない状況に追いやられてしまいました。
後から考えるとこれは完全な失敗。
確かにこの時点では子供の可能性は無限に感じます。
塾の上の学年の生徒さんの実績の中には、例えば筑波大附属駒場高校や開成高校などを合格し、その他早慶附属など受験した複数の高校を総ナメにするようなスーパーな生徒さんがいたりします。
だからと言って自分の子供がそのタイプかどうかは少し冷静に見ることが出来れば簡単に分かりそうなものですが、実際には全然分からんのです。
人様のことは冷静に見ることが出来ても自分の子供のこととなると盲目的になってしまうのです。私も例外ではなく自分の子供の可能性を勝手に青天井でつり上げてしまっていました。
今思うと本当に恥ずかしい限り。
大学では医学部の可能性もあるか?とか、それなら筑駒は厳しいとしても、開成は頑張ればいけるか?とか、でも最近は開成蹴って翠嵐に入る子もチラホラいるらしいし、やっぱり翠嵐か?とか。
もうバカ丸出しです。
親がこの有様ですから子供はたまったものではありません。あれもこれもと欲張ったあまり、どれもこれも消化不良となりました。息子はそもそもそんなに器用でもなくコツコツと真面目にやるタイプでもないわけです。
湘ゼミアルファから毎回出される宿題も全然ちゃんとやってなかったし、小テストなんかの点数も悪かったです。
そこそこ高いレベルの努力を安定して継続できるような性格では全然ないのです。性格にはかなりムラがありました。模試の結果が悪くてもあまり気にしません。
親としてはそんな息子が心配で、あの手この手でやる気を出させようと試しましたがあまり効果無し。そして当然といえば当然ですが、この頃からどんどん模試の結果が悪くなっていきました。
息子は地道にコツコツというよりは、ある一定期間だけガッツリ集中してやるタイプでしたね。
今思えば当たり前のことですが、公立、私立、国立の3科、5科の全てに対応することは難しいです。
本当に当たり前のことです。
当時はこのレベルの当たり前のことも見えなくなっていました。
といことで、ある程度の方向性は早めに決めたほうが良いかもしれません。
一番行きたい学校は公立か私立か国立か。
3科か5科か。
どこに向かっているかで対策の方法が全然違うので。
ここをうちのように欲張ってあれもこれもとやってしまうと、いつまでも焦点が絞りづらく、成果も出ません。
さらに結果としては無駄な労力を使うことにもなります。
最終的には私立向け3科に絞りましたが、時期的にはかなり遅い時期まで理社にもそれなりの労力をかけていました。ここは早い時点で一度ちゃんと考えておきたいところです。
さて、この頃よく受けていた模試は下記の3つです。
- 神奈川県進学模試
- 駿台模試
- アドバンス模試
そして神奈川県では公立高校受験には内申点が占める割合もそれなりに高いです(比重は受ける高校によります)。中2の後期の成績からカウントされます。
中学2年の内申点は?
そして模試の結果が下降の一途をたどる中、中2後期の学校の成績が出ました。
なんと「32」
我が家に衝撃が走った瞬間でした。
神奈川で受験生をお持ちの方なら、この数字がどの程度かお分かり頂けるかと思います。そして、公立高校のトップ校進学という目標がガラガラと音を立てて崩れ始めたのです。
先に記載した神奈川県の旧学区トップ校への進学は学校によって違いはあるものの2割~4割の比率で内申点が加味されます。
川和高校などは4割です。
この時点で川和高校はもう狙えなくなったと感じました。他の高校についても、出来るだけ内申点比率が低く、出来れば特色検査もある学校で、出来るだけ当日の試験で突破できる高校に絞っていく必要があると感じました。
息子は地道にコツコツのタイプではなく、期間限定集中で本番一発勝負のタイプなのです。
しかしそれにしてもまさか「32」とは…
第3回へつづく✋