さて、最近頻繁に聞くようになった言葉「老害」。
「老人と公害を合わせ持った人」
とんでもなく悪いイメージの言葉ですが、このイメージにピッタリとハマってしまう方は私に周りにもチラホラ出現し始めています。
今回もあくまでも私見です。
自分自身が老害化するのを防ぐためにどうすれば良いかの視点で書いてます。考え方としては少し偏っている箇所もあるかもしれませんが、悪しからずご了承下さい。
老害の定義
広辞苑では「老人による害の意)硬直した考え方の高齢者が指導的立場を占め、組織の活力が失われること」となっています。
以前は政治や企業の中で影響力を持つ人に対して使われていたようですが、最近はもっと広い意味で使われているように思います。
私が個人的に思う老害とは下記のようなイメージです。
- 我が強い
- プライドが高い
- 自尊心が強い
- すぐ怒る
- 仕事しない
- 損失を作る
- さぼる
- ときどき弱々しいフリをする
- 咳をするときにマスクをしない
- 調子良く話を合わせてくるが内容は聞いてない
- たばこを吸う
- 同じ昔ばなしを何度もする
- 自分では気づいてない
などなど。
これらのいくつかに当てはまりつつ、そこそこの年齢になっていれば老害認定される可能性はあると思います。
「たばこを吸う」のあたりは偏った意見かもしれません。私の身近にいる、私が老害認定している方はやたらとたばこを吸うのでそう思ってしまいました。たばこを吸う方の全てに当てはまる訳ではないことは理解しております。
私の身近にいる方はこんな感じです。
- 現在の自分の置かれている立場に満足しておらず、何かしらの不平不満を持っている。
- であれば辞めれば良いのにそれも出来ない事情があったりするので居続ける
- 功を焦るあまり地に足のついた仕事が出来ていないので、貢献度は低くなる
- ベテランだからと基本的なことを軽視して進めた結果、超初歩的なミスに陥り結構な損失を作ったりする
- また自分の置かれているポジションにもこだわりを持っているようで、立場が上なのか下なのかの意識が強く、言葉尻や態度に出てしまう
- はっきりと格上の人には絶対服従の姿勢を見せるが、後輩や若者に対しては彼らの能力や成長を素直に認められないので、年齢でマウントポジションをとろうとしてしまう
自然体で接することが出来ず、頭の中で上記のようなことをごちゃごちゃと考えているので、「無礼」で「横柄」な態度が目につくことが多くなってしまうのかと勝手に想像していますが、結果として「迷惑」な存在になってしまっています。
一言でいうと「周囲に迷惑をかける手に負えない老人」といったところでしょうか。
日本ではまだまだ年配者を敬う気風が残っていますので、このような老人にも気を遣いながら接することになります。この美徳である筈の日本人の気質がこのような老人の老害化に拍車をかけているような気もします。
女性にも老害化している方はいると思いますが、私が老害と思う方は圧倒的に男性が多いので、そのイメージで男性前提で書いております。
老害は何歳から
老人と決めつけて書いてますが、実は老人ばかりとは言えないかもしれません。40代ぐらいから徐々に老害の症状が出始め、50代、60代ぐらいには本格化していくような感じです。
仮に上記の項目に該当するような迷惑な方が20代、30代の人にいたとしても「老害」という言葉は使わないと思います。
定義ですが、厚生労働省の資料では
- 15~24歳 青年期
- 25~44歳 壮年期
- 45~64歳 中年期
- 65歳以上 高年期
となっています。となると私も既に中年期に入りましたので、自分自身のこともよく省みないといけません。
「好々爺」という言葉があります。
「いつも人に好感を与える、人の良さそうなおじいさん。孫などを可愛がる、やさしいおじいさん。」という意味ですが、まさに「老害」と真逆に位置する言葉です。私はこういう方々もたくさん知っています。老人でも老害化するかどうかはあくまで個人によりけりで「好々爺」的な方もたくさんいます。
私はわりと自分より年上の方と接するのは好きなのですが、私が接する方はほとんどはこの好々爺気質の方々です。本当に楽しくお酒を飲まれますし、性格も穏やかで優しく後輩思いですし、知識も豊富で色々なことをよく知っています。こういう方々と接するのは私としてもとても楽しいです。
結局は「周囲の人に迷惑をかける」「周囲の人を不快な思いをさせる」人のこと。それで、その人がそれなりの年齢であれば「老害」と呼ばれる、ということなのかなと思います。
若い人でも、どの世代でも、他人に迷惑をかける人、不快な思いをさせる人、は一定数はいます。この人たちは若いから老害とは呼ばれてないですが、害であることには変わりありません。
下記のデータは内閣府統計局が発表している日本の現在の男女別人口についてまとめたものです。
データを見ると、目につくところとしてはやはり20歳未満の割合が少ないです。40代、50代が多く、60代、70代になってもあまり人口は減りません。80代以降で少し減り始めています。
あらためてすごい高齢化だということが分かります。
問題は高齢化というより少子化のほうだと思いますが、それは主旨から外れますのでここでは触れないことにします。
高年齢化が進んでいるので、老人の人口は増えています。老人だからということではなく、ある一定の割合で周囲に迷惑をかける人がいるとすれば、老人で迷惑をかける人の割合も比例して増えるので、必然的に老害と呼ばれる人も増えるということになります。割合は一定でも人数は増えます。逆に少子化ですので、若者で周囲に迷惑をかける人も一定の割合でいたとしても人数としては少ないことになります。
老害にならないためには
私なりのまとめです。
あくまで自分自身が老害化しないための戒めを込めてです。
くだらないプライドは捨てる
目標を達成するときや、なりたい自分になるために日々努力したりすることにプライドを持つことは大事。それ以外はプライドを持っていてもあまり役に立ちません。
プライドが出てきてしまうシーンのほとんどは後で考えればつまらないものです。プライドは役に立つときより邪魔になるときのほうが多いです。なので捨ててしまったほうが良いです。歳を重ねるごとに変なプライドが出てしまうものです。
私にも変なプライドがありますので、普段から意識的にプライドを捨てるようにしています。上に書いた通り何かに向かって懸命に頑張ること。これこそ年齢には関係なく今後もプライドを持ってやっていきたいことです。
人の役にたつことを考える
小さいことでもいいので、誰かの役に立つことをする。
これはきれいごとでも何でもなく、こういう意識があるのとないのとでは差が出てきてしまうところだと思います。
私も出来ていませんので、なるべく意識するように心がけてます。家族、身近な人、友人、会社の同僚、取引先の人など、相手は誰でも良いと思います。こういう思考は前述した老害の定義とは相反するので、老害化を防ぐ効果があるのではと思っています。
これも簡単なようで実際にやってみると意外と自分の老害化側面がひょっこり顔を出してくるときがあります。
「なんでおれがこんなことやってやらなきゃいけないんだ」みたいな感情。
自分よりももっと若い人たちがやればいいのに、とどこかで思ってしまっている証拠です。この感情が出てきたときに自分でも老害の世界に一歩ずつ近づいていることに気づくことが出来ます。
そういった意味でも、誰かの役に立つことを常に考える、という意識を持つことは大事だと考えています。
運動する
前向きであること。
私もランニングや筋トレをやっていますが、運動をすると気持ちが前向きになっていくことに気付きました。
日常の生活の中に運動を取り入れている人は前向きな感覚を持っている人が多いような気がしています。
前向きな気持ちがないと運動など出来ないのではないかと思います。そしてこの前向きな気持ちが色々なことにチャレンジする気持ちにも繋がるのだと思います。
何でもいいのです。激しい運動ではなくても、散歩などでもいいと思いますし、1週間に1度か2度図書館に本を借りに行く、そしてそのときは歩いていく、などでもいいと思います。
運動でなければならないということはなく、要は前向きにチャレンジする何かを意識することが大事なのだと思います。これも年齢は関係ないと思います。
運動が出来る状態であれば、運動することは身体の健康だけではなく心の健康にも繋がっていきますので、日常の中に運動を取り入れることはとても意義のあることだと考えます。
この3つを意識するだけでもかなり改善できるのではないでしょうか。
実際やってみるとこれだけでも意外と簡単ではないかもしれません。しかし、続けていけば慣れます。
老害の一番怖いところはまるでサイレントキラーと呼ばれる病気にように、本人に自覚症状がないままに進むところだと思います。自分で自分をチェックできる判断基準を持って、少しでも老害化しないよう前向きに生きていきたいと思う今日この頃です。
では✋